この像は、像高227センチ、寄木造で、瑞天寺観音堂の脇侍として、木造不動明王立像とともに左右に配置されています。他の2軀と同時期の平安時代後期の制作と考えられています。背に光背を負い、右手に戟(げき)を、左手は肘を曲げ、宝塔を捧げ持ちます。
大同3年(808年)に弘法大師が巡教し、観音寺本尊の千手観音坐像を礼拝した際に、感銘のあまり本像と不動明王立像の2軀を彫刻し、脇侍にしたと伝えられています。昭和54年(1979年)に修理が行われています。
昭和50年7月11日に旧大潟町の文化財に、平成19年6月1日に上越市文化財に指定されています。