この石仏群は、江戸時代の天保年間(1830年~1843年)に大潟区の九戸浜で廻船業を営んでいた小林家が瑞天寺に寄進したと伝えられる西国三十三所の観音菩薩像です。
西国三十三所とは、観音菩薩を祀る近畿地方2府4県と岐阜県の三十三か所の札所寺院と三か所の番外寺院からなる観音霊場であり、現在でも多くの参拝者が訪れています。また、「三十三」とは、観音菩薩が民衆を救うとき33の姿に変化するという信仰に由来し、これらを巡礼参拝すると、極楽往生するとされています。
小林家は、佐渡の石工に依頼してこの石仏群の制作をさせたといわれており、建立にあたっては、実際に西国三十三所観音霊場の土を納めました。
この石仏群を参拝することで、当地に居ながらにして西国三十三所の霊場を巡礼したことと同じ功徳があるといわれています。
昭和58年1月28日に旧大潟町の文化財に、平成19年6月1日に上越市文化財に指定されています。