この懸仏は、明治30年頃に矢住の熊野神社の御神木である欅の根元を掘り起こした時に出土したと伝えられています。その際に付けられた鍬のあとが鏡板に残っています。
如意輪観音は密教修験の重要な尊像とされており、おそらくこの懸仏は、矢住熊野神社の御正体(ご神体)であったと考えられています。
径17.5センチの鏡板に取り付けられた本像は像高6.5センチで、右ひざをたて頬杖をつく思惟の姿をしており、所々に鍍金(ときん)の痕が残ります。蓮華座の線刻が簡略化されており、室町時代のものと推定されています。
昭和62年12月15日に旧頸城村の文化財に、平成19年6月1日に上越市文化財に指定されています。