この経石は、頸城区大池の中の島にある、しらみ経塚の上に散乱していました。書体から中世のものと考えられますが、詳細な年代は不明です。また、典拠となる経典名も不明です。
経塚は、経典を経筒などに入れ、甕などの外容器に納め、埋めた塚です。後世まで仏法を伝えようとし、また、追善供養や現世利益などを目的に平安時代中期から近世にかけて行われました。
一字一石経とは、中世以降江戸時代まで盛んに行われた信仰形態の一つで、経文を平たい小石に一文字ずつ墨書して、しらみ経塚に埋納したものと考えられます。
昭和49年10月25日に旧頸城村の文化財に、平成19年6月1日に上越市文化財に指定されています。