この木簡は、榎井A遺跡から出土しました。木簡は3片にわかれており、最大の破片は長さが約60センチあります。いずれも表・裏面ともに墨書があり、古代荘園の活動を記録した木簡と考えられています。
木簡には、「以四月五日御田阿(桜カ)夫事 合玖佰伍拾壱人縄手 子
(甥カ) 子万呂 長人 塩梶
装束萊棚板等
」と記されています。
内容としては、四月五日に行われる庄田の「阿桜夫(あさくらのふ)」という役夫について、それが合わせて951人に及ぶことを記しており、その大規模な動員が注目されます。ついで「子甥」「縄手」「子万呂」「長人」などの人名が横に列挙され、およそ2行分を空けて、「塩梶(よなぎ)装束萊(あかざ)棚板」などの物品名があげられていますが、物品の確かな意味や類例は不明であり、これらが「阿桜夫」といかに関わるのかも明らかではありません。
木簡としての役目を終えた後、井戸の部材として再利用され、8世紀後半から8世紀末まで使用されていたようです。
平成13年1月19日に旧頸城村の文化財に、平成19年6月1日に上越市文化財に指定されています。