この碑は、雪崩にまきこまれて命をおとした浄土真宗門徒の殉難者供養塔です。
元治元年(1864年)の蛤御門の変により焼失した京都東本願寺の両堂(御影堂・阿弥陀堂)を再建するため、全国から用材(材木)が寄進されました。浄土真宗が盛んな当地からも吉川区川谷の黒姫神社境内にあったケヤキが献木されることとなりました。
明治16年(1883年)3月12日、雪の中を門徒らがケヤキを橇(ソリ)に乗せて運搬する途中、尾神岳にさしかかったとき雪崩が発生し、子どもを含む27人が命をおとしました。
この碑は、縦131センチ、幅68.5センチ、厚さ41.5センチの安山岩製で、地元や東本願寺関係の人々によって明治20年(1887年)9月に供養のため建てられました。
昭和57年1月28日に旧吉川町の文化財に、平成19年6月1日に上越市文化財に指定されています。