この絵画は浄土宗の開祖、法然の肖像で、縦125センチ、横91.5センチの本紙に、等身大で描かれています。
本紙の上下には、各々3枚の色紙が張られ、上方3枚には「大無量寿経」「涅槃経」「華厳経」の文が、下方3枚には「安楽集」「観念法門」の文が楷書で墨書されており、墨痕の比較により、本願寺3世覚如の筆跡と推定されています。
昭和41年、表装修理の際に下方軸木に発見された墨書から、この画像は信州の塩崎門徒により護持され、享禄3年(1530年)8月23日に本覚寺の浄念の寄進により、表装が改められていることがわかります。
その後、川中島の合戦が起こった折に、本誓寺や浄興寺等信州の多くの寺院が戦乱を避けて越後に寺地を移転しましたが、寺伝では本覚寺も信州川中島の内原より、永禄年中に休善により、長嶺の現在地に移転再興しており、その時に休善がこの絵像を供奉(ぐぶ)し、以来本覚寺の常住物(じょうじゅうもつ)として、現在に至ったものと考えられます。
昭和49年8月1日に旧板倉町の文化財に、平成19年6月1日に上越市文化財に指定されています。