仁王門に安置される一対の金剛力士像で、それぞれ仁王門の中央に向かって外側に腰を引く姿勢をとります。両像ともに高さは約180センチメートル、ヒノキ材を寄せて造られており、目には玉眼を用い、上半身は裸形で、下半身に短裾をつけ、両肩から天衣をかけています(一部、欠失)。もともとは彩色が施されていたと考えられますが、現在は剥落しています。
仁王門の向かって右側に安置される阿形像は、開口して怒りの表情を見せて、右手は垂下して掌を下に五指を広げ、左手は振り上げて掌を外に金剛杵(こんごうしょ)を握っています。一方、向かって左側に安置される吽形像は、閉口して怒りの表情を見せて、右手は屈臂して掌を前に五指を開き、左手は屈臂して拳を作っています。
この像容は、中国の唐時代に始まり、わが国では平安時代に一般的となった典型の金剛力士像の姿を表しています。
両像ともに作風が同一なので、同じ仏師(もしくは工房)により室町時代末から江戸時代初期にかけて京都で制作されたと考えられています。
寺伝によると、大廣寺は、文禄元年(1592年)に然嶺という僧により開基されたといわれており、おそらく本像も開基に合わせて同寺に将来されたと考えられます。
なお、明治時代初期に仁王門が建設される以前は、本堂内に安置してありました。
昭和59年5月25日に旧板倉町の文化財に、平成19年6月1日に上越市文化財に指定されています。