浄土真宗の開祖である親鸞の妻、恵信の寿塔と伝えられる五輪塔で、鎌倉時代の制作と考えられています。
恵信については、大正10年(1921年)に京都西本願寺から自筆の手紙10通が発見されたことからその存在が確実視されるようになりました。手紙には晩年に越後に住まい、子供たちと過ごしたことや、京都の親鸞とのやりとり、自身の寿塔として高さ七尺(約210センチメートル)の五重の石塔を注文したことなどが記されています。また、恵信が当市板倉区に所縁の三善氏の一族であること、この石塔が置かれている場所付近に「五りん田」「とよ田」「びくに墓」などの地名が残されていることなどから、この五輪塔が恵信の墓標と考えられるようになりました。
五輪塔とは、仏教において世界を構成する5つの要素(地・水・火・風・空)を象ったものとされ、寿塔とは、生前に建てる自身の塔婆(とうば:供養を目的として建てる塔)をいいます。この石塔に隣接して「ゑしんの里記念館」が併設されています。
昭和49年8月1日に旧板倉町の文化財に、平成19年6月1日に上越市文化財に指定されています。