この宝筐印塔は、総高106センチで、「応永五 永高 四月十二日」と銘文が刻まれており、在銘の石塔としては当市内で最古のものです(応永5年(1398年))。
銘文の「永高」はこの地を治めた豪族、三善氏(県指定文化財「山寺薬師三尊」を奉納)の家臣と考えられており、この人物により奉納されたと伝えられています。また、宝筐印塔が安置される地は「観音堂」跡とされ、周辺はかつて山寺五山、あるいは山寺三千坊といわれた古代山岳仏教の中心地として栄えていました。
宝筐印塔は仏塔の一形式で、本来「宝筐印陀羅尼経」を納めますが、鎌倉時代中期頃から墓碑などにも用いられるようになりました。
昭和49年8月1日に旧板倉町の文化財に、平成19年6月1日に上越市文化財に指定されています。