この石仏群は、通称「百観音」と呼ばれている観音菩薩像群で、それぞれ大きさは70~80センチで総数は100軀あります。飢饉等が多発した江戸時代の天明年間(1781年~1789年)に関田村の智泉寺(曹洞宗)の住職の発願により建立されました。坂東三十三箇所、秩父三十四箇所、西国三十三所の観音霊場を集めて祀られたもので、千手観音、十一面観音、馬頭観音など、33に変化するさまざまな観音像が並びます。保存状態がよいため、寄進者の名前等もはっきりと確認できます。現地に98軀あるほか、智泉寺の近くに2軀あります。
この石仏群を参拝することで、当地に居ながらにして、坂東、秩父、西国の観音霊場を巡礼したことと同じ功徳があるといわれています。
平成9年8月19日に旧板倉町の文化財に、平成19年6月1日に上越市文化財に指定されています。