この日記は、縦22.6センチ、横15センチの袋綴で、22冊から成ります。22冊中9冊は宝暦5年(1775年)から天保4年(1833年)の78か年分の伊勢暦のみ綴り、13冊は天保5年(1834年)から慶応元年(1865年)に至る32か年の伊勢暦のほかに用紙を追加して日々の出来事が日記として書かれています。浄土真宗本願寺派、専福寺の10代住職の僧浄が著述したもので、32年におよぶこの日記には、天保8年(1837年)の飢饉や弘化4年(1847年)の善光寺地震、江戸時代末期の大火などの記述があります。また、江戸時代末期の清里村を中心とする集落組織や農民の生活についての記述もあり、この時期の清里地域の生活等がうかがえます。
昭和52年1月28日に旧清里村の文化財に、平成19年6月1日に上越市文化財に指定されています。