(1枚目:上越市所有)
(2枚目:個人所有)
(3枚目:東蒲生田町内会所有)
名立区の竹田用水を描いた所有者の異なる同種の絵図3巻がそれぞれ指定を受けています。
これらの絵図は、それぞれ縦75センチ、横440センチの巻子装で、年号の記載がありませんが、江戸時代の制作と考えられます。高田藩へ提出した絵図の控えとして複数巻書写したものと考えられ、当時の土木技術や用水沿いの村の様子などがうかがえる資料です。
竹田用水を手掛けた竹田勘兵衛は、寛政3年(1791年)に当市大字北方の川上善兵衛家に生まれ、後に竹田家の養子になりました。大肝煎となった後、飢饉であえぐ住民の姿をみて、用水開削による新田開発を発案しました。天保6年(1835年)から8年(1837年)にかけて、急峻な山腹を貫く、東飛山から大菅に至る全長約16kmの用水を造り上げ、160年たった今も、護岸など改良が加えられつつ、140ヘクタール余りの水田を潤し続けています。
平成16年12月8日に旧名立町の文化財に、平成19年6月1日に上越市文化財に指定されています。