蓮如が上げ畳に座り、念珠を持つ姿の絵像です。これは室町時代後期以後の構図ですが、おおらかな輪郭線による顔の描写などに江戸時代初期の特徴も見られ、安土桃山時代の基準となる作例です。
本紙縦107センチ、横49.5センチで、表装の墨書には「釋准如(花押)」 「三年甲四月十日」 「高井郡栗」「山常敬寺什物也」と書かれており、東本願寺12世の准如から、文禄3年(1594年)に下付されたものと推定されています。
蓮如は本願寺8世で、浄土真宗隆盛の基礎を築いた人物として有名です。蓮如は応永22年(1415年)に本願寺7世存如の子として生まれ、長禄元年(1457年)に宗主となりました。しかし、他宗派からの攻撃を受け、寛正6年(1465年)に京都の大谷から近江(現在の滋賀県)へ逃れ、さらに文明3年(1471年)に福井の吉崎に移りました。蓮如は吉崎を拠点として北陸一帯に布教を展開し、北陸が真宗王国と呼ばれる礎をつくりました。その後、同7年に京都へ戻り、山科を経て、明応5年(1496年)に石山本願寺を創建しました。