この機関車は、長さ約4.9メートル、幅約1.7メートル、高さ約2.9メートルで、オーレンシュタイン・ウント・コッペル社製で明治44年(1911年)製造のものです。
この機関車はもともと大丸組が所有し、旧国鉄大井工場の敷地造成や品川駅周辺の埋立工事等に使用していました。大正3年(1914年)、頸城鉄道の開業にあわせ、同社はコッペル社から蒸気機関車3輌を購入しましたが、そのうちの3号機が出力不足だったため、大正4年(1915年)に頸城鉄道所有の2・3号機2輌と交換する形で、大丸組から新3号機として迎え入れたものがこの機関車です。交換の結果、頸城鉄道所有の蒸気機関車は2輌となってしまったため、この機関車の番号も2号機に変更しました。
以来、この機関車は、多くの人や物を輸送してきましたが、昭和41年(1972年)5月、特別列車の運転を最後に廃車となり、頸城鉄道本社前に保存展示されました。その後、昭和47年(1972年)から昭和51年(1976年)まで西部鉄道旧山口線で「謙信号」として使用されましたが、翌年、再び頸城鉄道本社に返還されました。