様々な伝承を持つ、長坂寺伝来の木造聖観音菩薩坐像
像高64.5センチメートル、針葉樹の一材から彫り出され、表面は漆箔(しっぱく:木地に麻布を漆で塗り重ね、金箔を押したもの)で仕上げられています。眉間の白毫(びゃくごう)には水晶がはめ込まれており、目は玉眼(ぎょくがん)ですが、のちに玉眼とその周囲が補修されています。両肩から天衣(てんね)がかかり、左肩から右わき腹に条帛(じょうはく)をかけ、腰から下に腰布、裳(も)をつけ、右足を外にして座った姿であらわされています。
髻(もとどり)の形、張りのある頬、やや沈鬱な目鼻立ちに鎌倉時代初期の慶派作品に通づる特色が認められますが、細身の体つきや、浅く彫られた衣文などの表現から、慶派の影響を受けつつも、新たに和様を復活させた優作であるとされています。制作年代は鎌倉時代、13世紀と考えられています。
本像はもと、当市下正善寺地区にあった長坂寺(ちょうばんじ)にあったといわれています。木曽義仲が奉納した護持仏と伝え、義仲を朝日将軍とも呼ぶことにちなんで、本像は朝日聖観音と称された伝承をもっています。
長坂寺は、宝永元年(1704年)に洪水被害にあったため、高田の臨済宗華蔵寺の末寺となり、さらに安永5年(1776年)には直江津の曹洞宗徳泉寺末となりました。その後、長坂寺は廃絶があったため本像は本山である徳泉寺に移されました。