本願寺歴代門主が書写した聖教類
浄興寺には、覚如(かくにょ)、存如(ぞんにょ)、巧如(こうにょ)ほか本願寺歴代門主などが書写した聖教(しょうぎょう:仏陀の教えを説き書き記したものをはじめ、広く仏典を総称したもの)類が多く残されています。
そのうち、「本願寺聖人親鸞傳絵(でんね)」「顕浄土真実教行証文類(けんじょうどしんじつきょうぎょうしょうもんるい)」「末燈鈔(まっとうしょう)」「愚秀鈔(ぐとくしょう)」「顕名鈔(けんみょうしょう)」「教化鈔(きょうげしょう)」「執持鈔(しゅうじしょう)」「改邪鈔(かいじゃしょう)」「口伝鈔(くでんしょう)」「持名鈔(じみょうしょう)」「決智鈔(けっちしょう)」「法華問答集(ほっけもんどうしゅう)」「浄土真要鈔(じょうどしんようしょう)」「諸神本懐集(しょしんほんがいしゅう)」「浄土見聞集(じょうどうけんぶんしゅう)」の15部、32冊が指定を受けています。
これらの聖教類は和とじで装丁され、楷書(かいしょ)で書かれています。また、漢字にはふりがなが付されているのが特徴です。中には草花文の刺繍(ししゅう)を施した表紙や、雲母(きら)を散らした料紙(りょうし)を用いるなど装飾性に富んだものも含まれます。
応永年間(1394~1428年)に書写されたものがほとんどで、現存する真宗聖教の中でも、古写本に位置づけられます。当時、京都本願寺に留学した浄興寺6世善秀(ぜんしゅう)、7世性順(せいじゅん)、8世周観(しゅうかん)らが、修学に際して、本願寺の門主や先師から与えられたといわれています。
聖教類は、当時、長沼(長野市)にあった浄興寺にもたらされ、常住物(じょうじゅうもつ:寺院の財産)として装丁が施されました。その後、浄興寺は戦火に遭い、長沼から春日山城下を経て、高田へと移ります。本聖教類はそうした災禍から守り伝えられてきました。