
高田城は、慶長19年(1614年)に徳川家康の6男松平忠輝が築きました。
築城工事は幕府直轄工事として始められ、徳川家康の命令で13の大名に普請が割り当てられ、松平忠輝の義父の仙台城主伊達政宗が、陣頭指揮をとりました。大名の中に豊臣方の大名が含まれており、大坂の陣で緊迫する中で彼らに多額の費用を使わせ、その力を弱めるねらいもありました。
外堀を含めると60ヘクタールを優に超える広大な城郭を、4か月足らずという短期間で完成させたといいます。これは大坂(豊臣)と東北(伊達・上杉)の連絡を断ち切る要衝の城として、工事を急いだためだといわれています。高田城の特徴は、近世城郭のシンボルとされる天守閣が建築されなかったこと、石垣が積まれなかったことですが、これらの理由は工事を急いだためといわれています。