二十一箇条の戒めを記した専修念仏張文日記
書出しに「専修念仏張文日記(せんじゅねんぶつはりふみにっき)」と見えるこの書跡は、一般に二十一箇条禁制(きんぜい)と呼ばれています。一見すると20条ですが、19条目に縦に2か条列記されています。
この禁制は、親鸞の遺訓にもとづいて弟子で浄興寺2世の善性(ぜんしょう)が、地方教団統制のための必要事項を加えて集記したものを、浄興寺4世の法性(ほうしょう)が漢文に改めて書写し、門徒中に張文(はりふみ)したものと伝えられています。また、善性が集記した原本は仮名文字であったことが、末尾に付されています。この禁制の書写年代は不明ですが、室町時代の古写本と推定されます。
内容を見ると、念仏勤行(ごんぎょう)の日は男女同席してはいけないことや、魚・鳥を食べてはいけないこと、酒に酔ってはいけないことなど、こと細かに門徒(信者)を戒め、戒を破った場合は厳しく処罰することが明記されています。さらに、この禁制で注目されるのは、末尾に正嘉2年(1258年)の諸仏等同論議に関することが記されていることです。
この論議に関する唯一の資料として、真宗史を研究する上で欠かせない貴重な遺品といわれています。