(県指定、建造物)
上越地方に残る唯一の塔で、県内では乙宝寺(中条町)の三重塔とともに、越後の建築史を知る上で貴重な遺品です。
塔内部の中央を通る心柱は鎖で釣られ、礎石に固定されていません。この工法は、文政元年(1818年)に上棟した日光東照宮(栃木県)の五重塔など江戸時代後期に現れるものです。
一・二層は平行垂木で三層は扇垂木になっていて、一重の指貫上部に十二支の彫刻が施されています。
相輪と呼ばれる塔の先端部は、普通は金銅製なのですが、この塔は陶製のものです。これは当時この辺で盛んだった五智焼を利用したものと考えられています。