山寺薬師堂に安置されている薬師如来坐像(1枚目)、釈迦如来坐像(2枚目)
阿弥陀如来坐像(3枚目)
古くから「山寺薬師」と呼ばれ信仰を集めてきた如来像3躯は、板倉区東山寺の薬師堂内に横に並んで安置されています。いずれも、像高は142センチメートル。ヒノキ材を寄せて造られた木彫像で、木肌をいかした素地造りに螺髪(らほつ)や唇などに彩色を施し、目には水晶製の玉眼(ぎょくがん)を、額には金銅製の白毫(びゃくごう)を嵌入(かんにゅう)しています。
中央の木造薬師如来坐像は、蓮華座の上に結跏趺坐(けっかふざ)し、左掌に薬壺(やっこ)のせ、右手は施無畏(せむい)印を結びます。昭和35年(1960年)に解体修理が施された際、胎内(頭部)から墨書銘が発見され、制作過程が明らかとなりました。
銘によると、本像は、三善讃阿(みよしさんあ)を檀那(だんな:寄進者)に、沙門祐山が勧進(かんじん:募財)して、京都の六条仏所の大仏師、筑後法眼(ちくごほうげん)により、応永2年(1395年)に制作されたことがわかります。
向かって右側の木造釈迦如来坐像は、右手は施無畏印、左手は与願(よがん)印を結びます。墨書銘から薬師如来と同じく筑後法眼の作で、明徳5年(1394年)に造仏されたことがわかります。
向かって左の木造阿弥陀如来坐像は、腹前で定印(じょういん)を結びます。前者の2仏と異なり、墨書銘はありませんでしたが、技法や作風から3躯は同時期に一具として制作されたものと考えられます。
なお、本像を寄進した「三善讃阿」は、親鸞の室、恵信の父として知られる三善為教(みよしためのり)の子孫ではないか、と考えられています。また、本来は現在失われている大日如来と宝勝如来を含めた五智如来(ごちにょらい)として造仏されたとも伝えられています。