成就院跡地に立つ筆塚など(1枚目)、成就院の本尊、不動明王像(2枚目)
成就院は、和銅5年(712年)、泰澄大師がこの地で道場を建立したのが始まりと伝えられています。その数年後に紀伊国の僧が一切経を修蔵して寺号を萬藏坊とし、さらに大永7年(1527年)には境内地に神社社殿が建立されました。その後、永禄元年(1558年)には日照りが続き、上杉謙信公からの命により、住職が8月1日から7日間降雨祈祷を行ったところ、満願の7日目に降雨があったことから、謙信公より萬藏坊に「成就院」を、神明社に「雨宝尊神明宮」の称号を賜ったとされています。
寛文2年(1662年)12月、火災のため堂及び居宅が焼失しましたが、本尊の不動明王像のみ運び出され、寺院ゆかりの集落内の個人宅で代々大切に保管されています。この不動明王像は、木造で、像高85センチメートル、後補の火炎光背を持ちます。
成就院は江戸中期には寺小屋を開設し、境内地には明治9年に筆子らが13世丸山秀道法師の徳を偲び建立した筆塚などがあります。
活動団体の四辻町町内会では、不動明王を保管する個人と連携しながら、成就院跡の環境整備に努めるほか、環境美化運動などの町内会行事の際、小・中学生や保護者らにその歴史を伝えている。
四辻町町内会
わが四辻町は、昭和47年4月1日、四辻五ヶ字(角川、新屋敷、四辻、重川、角川古新田)が合併し誕生してから令和4年で50周年を迎えました。
この記念すべき年に「地域の宝」として「千手観音堂」、「新屋敷分教場跡」、「成就院跡」の3ヵ所が認定を受けました。
これを機に、「地域の宝」を子どもたちに伝えながら、「地域の宝」をよりどころして、地域が一体となり、保存、継承、まちづくりに努めていきたいと考えております。
3ヵ所とも歴史あるお宝で、現地にはいずれも説明看板が設置してありますので、悠久の歴史を感じることができます。ぜひ一度足を運んでみてはいかがですか。
「上越市「地域の宝」を認定しました」をご覧ください。