実際の登拝に使用される「御前立」
倶利伽羅不動尊御旗は、上杉謙信公が越中へ出陣の時、名立・筒石海岸で海が大荒れしたため神仏に祈ったところ、倶利伽羅不動尊(剣に龍が巻き付いた不動明王の化身)が南方の空に現れ、たちまち海が鎮まり、これに喜んだ謙信公が絵師の狩野直信に命じてその姿を描かせたものと伝えられ、現存する御旗は後世に狩野派の絵師、狩野東玉により再度制作されたもので、南本町3丁目の飴屋高橋孫左衛門氏宅に保管されています。
元亀元年(1570年)、謙信公はこの御旗を捧持し、領内の安寧を妙高山の三尊に祈願することを思い立ち、林泉寺六世天室和尚に自身の代参を命じ、春日山城下で春日神社を由来とする春日町には御旗の供を命じました。その後、城下の遷移とともに神社と町も高田へ移りましたが、御旗と行事は現在も「南方山」(なんぽうさん)として、春日神社(本町1)及び旧春日町(本町1・南本町3)により継承されています。
御旗保存会により御旗は年に一度、「南方山」が行われる7月22・23日のみ春日神社の御剣社に奉られています。実際の登拝には「御前立」が捧持され、帰参した際には氏子中を練り歩く御旗渡御が行われます。
御旗保存会
「上越市「地域の宝」を認定しました」をご覧ください。