謙信公祭での狼煙上げ(1枚目)、子どもたちへの直峰城跡の説明風景(2枚目)
旧三国街道の石畳(3枚目)、風間祭での女性部による直峰小唄の踊り(4枚目)
(注)「直峰城」は、安塚区では「なおみねじょう」と呼んでいます。
直峰城跡は、越後府中から関東へ通じる三国街道の拠点として、重要な位置を占めた山城です。築城年は定かではありませんが、南北朝時代の南朝方の風間信濃守信昭の居城とされ、歴代城主には吉田周防守秀忠、樋口兼豊(直江兼続の実父)などがいます。標高344メートルの急峻な独立峰に郭、空堀、土塁を巧みに配置した堅固な山城で、新潟県文化財に指定されています。上杉家に伝わる、慶長2年(1597)制作とされ、約400年前の頸城郡を描く絵図「越後頸城郡絵図」(米沢市上杉博物館蔵)では「直嶺之城」として山城の姿が描かれています。
直峰城の麓を通る三国街道は、謙信公の関東出陣の道として知られています。松之山街道、三国往還、上田道などの呼称があり、街道の一部、往時の道形と敷石が残る安塚から原山間の約2キロメートルは、上越市文化財に指定されているとともに、文化庁により「歴史の道百選」に選定されています。往時の息吹を感じることができます。
直峰城跡保存会
山頂の本丸跡に立てば、美しい頸城の山なみや日本海が望め、眼下には安塚の町が広がっています。旧三国街道には、現在も苔むした敷石が残り、石仏が立っています。
歴史に想いをはせながら、ゆっくりと散策をお楽しみください。
上越市「地域の宝」をご覧ください。