この門の屋根は切妻造で、軒を支える8本の控柱が脚のように見えることから八脚門(やつあしもん)と呼ばれています。正面には国分寺の山号である「安國山」(あんこくさん)の額が掲げられています。
記録によれば、寛政6年(1794年)の火災の際に山門も類焼し、現在の山門は天保6年(1835年)、能生谷小見村(能生町)の七郎左衛門が中心となって再建した、とされています。
山門の両脇には、仏教の守護神とされる仁王像が安置されています。この像はケヤキ材を用いた寄木造(よせぎづくり)、高さ2.7メートルの堂々としたもので、向かって右は口を開く阿形(あぎょう)、左は口を閉じる吽形(うんぎょう)です。京都の仏師法橋賢慶(ほっきょうけんけい)の作で、山門完成の翌年に奉納されました。
令和元年、修理が行われ、屋根が瓦葺きから金属葺きとなっています。