国分寺境内にある経蔵(1枚目)、笏谷石の基礎(2枚目)
五智国分寺は永禄5年(1562年)に、上杉謙信が現在地に再興したと伝えられています。この経蔵は、元禄6年(1693年)2月22日の上棟日と、棟梁傳兵衛(とうりょうでんべえ)ら大工の名前が棟札に記されており、国分寺に残されている建物の中で一番古いだけでなく、建築年代が特定できる市内最古の建築物です。基礎には、福井県で産出される笏谷石が用いられています。
三間四方の宝形造で、蔵内には、鉄眼版一切経(てつげんばんいっさいきょう)と呼ばれる一大仏教経典集が納められています。鉄眼版一切経は江戸時代前期に京都の万福寺(まんぷくじ)の鉄眼が日本で初めて出版した一切経(経典集のこと)で広く全国に流布しました。
納められている一切経には元禄5年(1692年)の寄進銘があることから、経蔵の建築にあわせて奉納されたことが分かります。