この像は、像高81.5センチ、檜(ひのき)材を用いた寄木造り(よせぎづくり)で、現在の表面は黒漆ですが、当初は彩色が施されていたものと推定されています。室町時代前期の制作とみられ、作者は不明ですが、京都七条仏所の仏師の作と考えられています。合掌する坐像で、国分寺境内の竹之内草庵(親鸞堂)に安置されています。
現存する親鸞像の中には合掌している像は見当たらず、また、顔の表情は親鸞と異なること、称念寺(寺町2丁目)伝来の木造一鎮倚像(国重要文化財)との共通性が注目されることから、本来は時宗祖師像として造られたものが、のちに親鸞像として信仰され、現在に至ったものと考えられています。