この人骨は、昭和12年(1937年)3月16日に、板倉区猿供養寺の正浄寺跡から珠洲焼の甕とともに発見されました。この珠洲焼甕は上越市文化財に指定されています。
人骨は左ひざを立て右ひざを折り曲げ、左手は左ひざに、右手は右ひざに向けた状態で発見されました。昭和36年(1961年)に新潟大学医学部が調査したところ、40~50歳くらいの男性の人骨と判明しました。
猿供養寺のある寺野地区には古くから地すべり伝説が多く残っています。発見地にも「旅僧が来て村人の話を聞き、人柱となって地すべりを止めた」という話が伝わっており、毎年7月に供養が行われていました。全国的にも例の少ない「伝説として受け継がれていた物語がそのまま発掘された」ものとされています。
昭和49年8月1日に旧板倉町の文化財に、平成19年6月1日に上越市文化財に指定されています。