この甕は、昭和12年(1937年)3月16日に、板倉区猿供養寺の正浄寺跡から発見されました。高さ80センチ、口径70センチで、能登半島で焼かれた珠洲焼の大甕です。
伏せた状態で発見された甕の内からは人骨が見つかり、座位(ざい:すわった姿)のまま甕をかぶったものと考えられています。この人柱人骨は上越市文化財に指定されています。
猿供養寺のある寺野地区には古くから多くの地すべり伝説が残っています。「旅僧が来て村人の話を聞き、人柱となって地すべりを止めた」という話が伝わっており、毎年7月に供養が行われていました。全国的にも例の少ない「伝説として受け継がれていた物語がそのまま発掘された」ものとされています。
昭和52年10月20日に旧板倉町の文化財に、平成19年6月1日に上越市文化財に指定されています。