密教法具は、密教の儀式で使われる仏具の総称です。普泉寺の密教法具は、五鈷鈴(ごこれい)1口、六器(ろっき)6口(敷皿5口)、飲食器(おんじきき)1口、火舎(かしゃ)1口(皿+蓋の一部)からなります。五鈷鈴の把(つか)と鈴身(れいしん)の文様は中世の特色を持ち、鎌倉中期の制作と考えられています。また、火舎・六器は共に大きく破損しているものの、五鈷鈴の制作年代とほぼ同じものと見られます(ただし鈴身の中にある舌(ぜつ)は後補です)。
普泉寺は、天正年間の御館の乱(1578年~1579年)において上杉景虎方に味方したため、上杉景勝方の焼き討ちにあって堂は廃絶しますが、その際、本尊の木造大日如来坐像(県指定文化財)と法具は土中に隠されたと伝えられています。上杉景勝が会津移封となった慶長3年(1598年)に大日堂が再興され、天和2年(1682年)に曹洞宗普泉寺となり、大日如来坐像とともに安置されたといわれています。
昭和58年3月29日に旧清里村の文化財に、平成19年6月1日に上越市文化財に指定されています。