米山薬師の奉納された太刀
この太刀は高田3代城主松平忠昌が元和9年(1623年)に刀工の助宗に制作させ、当市の柿崎区の米山薬師に奉納したものです。
助宗は高田の住人で、松平忠昌の抱えの鍛冶師です。忠昌は越前国(福井県)の結城秀康の次男として生まれ、元和4年(1618年)信濃国川中島から酒井忠勝と入れ替わって、高田城25万石を賜り、寛永元年(1624年)に越前北庄に移るまで、約6年間高田を治めました。助宗もその際に一緒に越前国へ移ったと思われ、以後高田での作刀は伝わっていません。
作品は、刃長117センチメートル、中心長41センチメートル、反り3.9センチメートル、重さ1.6キログラムで、刀姿は勇壮で、鎬(しのぎ)造り、鍛えは板目肌で、刀文は大乱れで、沸えがあります。茎(なかご)の表に「奉寄進米山薬師如来御宝前松平伊豫守源忠昌」、裏に「元和九年吉日越後高田之住助宗作」の銘文があります。目釘穴は2個です。地刃の出来、はたらき共にすぐれた新刀初期の銘品です。
現在、上越市立歴史博物館に寄託されています。