宮口古墳群は、飯田川東岸、谷口扇状地の扇頂寄りに位置し、出土遺物から7世紀(古墳時代後期)の群集墳と推定されます。この時代の古墳群としては、日本海側の北限に位置しています。戦前から知られており、昭和50年代の調査により、31基の円墳が確認されました。
この古墳群は、丘陵上の八幡堂地区、丘陵西側の扇状地の水田部に位置する清水田地区、丘陵部南側の水田部に位置する仏光田地区の3つの支群に分けられます。そのうちの八幡堂地区と一部の円墳を除いた清水田地区が昭和54年に公園として整備されています。
古墳は河原石を積み上げて作られた横穴式石室を持ちます。
昭和5年頃に一部が発掘され、アスファルト塗小玉、管玉、切子玉、ガラス玉、金環、鉄鏃(てつぞく(鉄製の矢じり))、刀子、直刀などが見つかっています。
墳丘を欠失したものもありますが、天井石が残っているものもあり、全体的に保存が良好で、県内の古墳群の中で最も石室の保存状態が良い古墳群とされています。
日本海沿岸北部における古墳時代後期の群集墳としてきわめて重要なものであり、構築技術、系統分布等を研究する上で欠くことができない資料であり、また、群のあり方、構造を通じてこの地域の動向をうかがう上で貴重な遺跡です。