山桜の咲く春日山(1枚目)、春日橋付近から望む春日山(2枚目)、本丸付近からの眺めと二の丸の大イチョウ(3枚目)
標高180メートルの春日山に築かれた春日山城は別名「鉢ヶ峰城」(はちがみねじょう)ともいい、戦国時代の名将上杉謙信公の居城として知られています。
城地としての広さは東西・南北ともに2キロメートルほどで、規模の雄大さでも全国屈指の名城といわれています。
春日山城は、越後府中の要害(砦)として築かれましたが、築城の時期はよくわかっていません。少なくとも、永正10年(1513年)の古文書に初見されることから、この時期には山城として機能していたことがうかがえます。ただし、現在のような広大な城郭に整備されるのは、謙信・景勝、さらに堀氏が城主を務めた16世紀後半と考えられます。
城は(1)本丸周辺から春日山神社にかけての郭(くるわ)群、(2)南三の丸と通称される本丸の南に広がる平坦な一群、(3)御屋敷遺構群、(4)総構(そうがまえ)が築かれた山裾の平坦地の大きく4つのグループに分けられます。特に、(4)の屋敷や空堀が広がる山のすそ野に、延長約1.2キロメートルに及ぶ堀と土塁で総構が築かれていることは春日山城の大きな特徴の一つです。
これら4つのグループにみられる違いは、春日山城の形成過程を示していると考えられ、春日山城は、初期の山頂を利用した小規模な段階から、南に拡大して平坦で大規模な郭を形成し、御屋敷遺構群が普請(ふしん)された後、最終的に総構と段階的に拡大していったと考えられます。
また、(1)~(4)の遺構が間断なく連続していることは山城として稀有であり、中世から近世にかけて、築城法の移り変わりを一つの城跡で探ることのできる例として、全国的にも大変めずらしい貴重な遺跡です。