本展覧会は終了しました。
「芸能科の記憶 学び舎から飛び立った作家たち」 チラシ[PDFファイル/2.45MB]
「芸能科の記憶 学び舎から飛び立った作家たち」作品リスト [PDFファイル/175KB]
高田城址公園にはかつて「芸能科」の愛称で親しまれ、一流の教官たちから指導を受け、芸術に打ち込んだ学生たちの学び舎がありました。
上越地域は、昔から教員を志す者が多く、1899年(明治32年)、旧高田市に新潟県第二師範学校(のちの高田師範学校)が置かれます。師範学校はその後、1949年(昭和24年)に新潟大学開学の際に一県一大学という国の方針に従い新潟大学高田分校となり、西城地区(現在の上越教育大学附属小学校の場所)に教育学部の小・中学校教員養成課程の1・2年次が、本城地区(現在の上越教育大学附属中学校の場所)には芸能学科が置かれました。
芸能学科は、公園内の旧陸軍師団司令部の建物を校舎として、美術・書道・工芸・音楽・体育の5部門が置かれました。特に芸術分野においては高度な専門教員の養成を目指して優れた教授陣を招いたこともあり、多くの作家を輩出し、地域の芸術教育及び芸術活動の活性化に貢献しました。また、学園祭などの季節の学校行事や公開講座、展覧会には多くの市民が参加し、分校と地域の間には強いつながりが築かれました。新潟本校への統合の話が出るたびに、地域住民から強い反対の声が上がったことも、地域と分校の強い結びつきを示すものです。しかし、地域とともに歩んだ高田分校も、1982年(昭和57年)春に新潟大学本校への統合が完了し、32年の歴史に幕を閉じました。
本展覧会では、高田分校芸能科で教鞭を取った教官、そして学び舎を巣立った卒業生たちの多彩な作品を展示いたします。ご紹介できるのは一部の卒業生の作品に限られますが、閉校から40年経った今、地域とともにあった高田分校の記憶を拾い上げるとともに、美術文化の発展を支え続ける作家たちを紹介する機会とします。
主催:小林古径記念美術館
協力:国立大学法人新潟大学 教育学部
飯田 春行、池上 秀敏、池田 尚志、石川 吉郎、石橋 犀水、磯部 錦司、市橋 哲夫、 伊藤 美和、内山 一嶽、内山 格、小関 育也、加藤 僖一、金谷 範子、金子 仁三郎、 川合 清、菊地 美秋、栗原 信、小林 五空、小林 充也、斎藤 和行、齋藤 三郎、新保 順司、 竹内 臨川、親跡 峻、東條 麗子、戸張 公晴、戸張 幸男、長森 聰、野中 吟雪、 長谷部 昇、早津 剛、平原 義二郎、古川 阪水、堀川 紀夫、堀田 正、本間 公司、 前山 忠、牧田 実、松垣 鶴雄、松森 清昭、三浦 思雲、三浦 顕栄、宮田 亮平、 宮本 三郎、村山 陽、矢野 利隆、山本 祥二郎、横尾 元則、吉澤 隆史、吉田 六嶺、 渡辺 富栄、渡邊 利馗
令和4年(2022年)10月8日(土曜日)~12月18日(日曜日)
10月~11月:午前9時~午後5時
12月:午前10時~午後4時
月曜日(月曜日が祝日の場合はその翌日)、祝日の翌日
(注)11月11日(金曜日)~11月20日(日曜日)は「紅葉ライトアップ」につき午後7時まで延長開館
(注)12月は午前10時~午後4時
一般 510円(410円)
小学生・中学生、高校生 260円(210円)
( )内は20名以上の団体料金
(注)幼児及び上越市内の学校に通う小学生・中学生は無料
1949年(昭和24年)の開学当時、教育学部で日本画を専攻できたのは、新潟大学高田分校のみであり、とても貴重な存在でした。初代教官の池田尚志(たかし)は在任期間の4年間で、日本画実習を行うための設備や備品などの環境整備から着手し、後任の松垣鶴雄(つるお)は、専門的な設備や備品を整備に努めました。その後、東京藝術大学から川合清が着任します。教官の研究室と日本画教室は距離が近く、学生たちが制作しているところに川合はよく顔を出し、助言や指導を行ったといいます。
川合から日本画を学んだ卒業生たちはグループ「丹青会(たんせいかい)」を結成し互いに研鑽を積みながら交流し、個人での活動を続けました。
(左)川合清「少女」(当館蔵) (右)菊池美秋「草むら」(個人蔵)
初代主任教授に二紀会創設メンバーの一人である栗原信(くりはらしん)が就任します。同時期、栗原と同じく二紀会で活躍していた鳥取敏(とっとりさとし)は、中学校図工を兼任していたほか、新潟県の美術教育に大きく貢献した牧田実、美学・美術史を担当した永島吉太郎(きちたろう)がいました。その後、それぞれ東頸城の地域教育に貢献した小学校図工兼任の三浦顕栄、鳥取敏の後着任した金子仁三郎(にさぶろう)、フランスで油彩画を学んだ長森聰(さとし)、西洋美術史を研究していた近藤フヂエらが着任しました。
学生たちは、高田のデパートや画廊で展覧会を開催し、日々の制作の成果を発表していました。また、学生たちの中には、在学中から前衛美術と出会い、仲間とともに新しい芸術の形を模索し、中央で個展を開催する者も現れました。
(左)金子仁三郎「独奏」(個人蔵) (右)村山陽「巣立つ」(当館蔵)
芸能科発足時就任したのが、木材工芸家で古鏡研究者の吉田貞二と、東京藝術大学出身の気鋭の彫刻家・戸張幸男でした。陶芸では寺町で窯を築いた齋藤三郎が講師として招かれ、学生たちは齋藤の自宅で実技指導を受けました。その他にも各分野の専門家が講師となり指導しました。
常勤の戸張が彫塑担当であったこともあり、工芸科は「彫塑科」と呼ばれることもありました。温かくも厳しい戸張の指導もあり、学生達は在学時から日展をはじめとする中央の公募展で多くの入選者を出しました。1974年(昭和49年)に戸張が退官となり、後任としてイタリアのローマ美術大学で学んだ渡邊利馗(りき)が着任します。指導面では厳しくも、総人数ならではの温かい雰囲気の中で指導を行いました。
(左)戸張幸男「良寛さん」(個人蔵) (右)堀田正「小さな夢」(個人蔵)
書道を学ぶことができる大学は少なく、書道科には全国各地から学生が集まりました。初代主任教授には、戦後日本の書道教育の第一人者である石橋犀水(さいすい)が就任し、地元出身の竹内臨川(りんせん)は東京から通う石橋を支えました。終戦後、毛筆廃止論など書道教育の必要性が問われていた時代、1951年(昭和26年)に石橋、竹内が中心となり新潟大学書道教育研究会が結成され、新大学徒競書大会を開催しました。石橋の退官後、北九州大学から三浦思雲が着任したころ、大会は休止となりましたがその後、新潟県書道教育研究会がその意思を受け継ぎ、新潟県競書大会、書き初め大会として現在も続いています。加藤僖一(きいち)、野中吟雪(ぎんせつ)はともに高田分校の卒業生で、卒業後、母校で教鞭をとりました。
書道科の学生たちは、校舎1階の奥にあった日本間教室で制作に打ち込みます。月に1度、書道科の全学生が参加する研究会「条幅(じょうふく)研究会」があり、学生同士で作品の講評をし、夏には3泊4日の合宿「練成会」で寝る間を惜しんで制作に打ち込みました。
(右)竹内忠雄(臨川)「無量寿」(個人蔵) (左)野中浩俊(吟雪)「含光」(国立大学法人新潟大学教育学部蔵)
展覧会に合わせ、さまざまなイベントを開催します。気軽にご参加ください。
(注)新型コロナ感染拡大防止のため、来館者名簿の記入、消毒、検温にご協力をお願いします。
(注)状況により、イベントの日程・内容の変更や、開催が中止になる場合があります。
新潟大学高田分校芸能科で講師をしていた日展理事長(前文化庁長官)の宮田亮平氏を招き、自身の制作や当時の思い出について語っていただきます。
学芸員による作品鑑賞会を行います。
出品作家や大学生、若者有志がそれぞれの個性を生かしたミニ・ワークショップを開催し、美術館を会場に、1日限りの「高田分校学園祭」を復活させます。
ミニ・ワークショップの内容
(注)材料がなくなり次第、終了する場合もございますので、ご了承ください。
紅葉の時期に合わせ、美術館庭園をライトアップします。紅葉鑑賞とともに夜の美術鑑賞をお楽しみください。ライトアップ期間は、美術館も午後7時まで延長開館します。
学び愛フェスタ開催に合わせ、11月19日(土曜日)は上越市内の小中学生と一緒に来館される保護者の方は入館が無料になります。
学芸員と一緒に、開催中の企画展「芸能科の記憶 学び舎からとびたった作家たち」の作品鑑賞を行います。
「芸能科の記憶 学び舎から飛び立った作家たち」の展覧会図録です。全72ページ、カラー、A5サイズ
頒布価格:1,000円 受付で頒布のほか、郵送での注文も承ります。詳細はグッズページをご確認ください