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コレクション

印刷用ページを表示する 掲載日:2020年8月25日更新

コレクション

 当館では、近代日本画の巨匠・小林古径の作品を中心に、上越市ゆかりの美術作家の作品を収蔵しています。年に4回の展覧会を通して、収蔵品を紹介していきます。

小林古径作品

 当館の小林古径コレクションは本画作品を中心に、初期の素描やゆかりの品々約1,800点で構成されています。古径が画家を志し上京した頃の作品「少女」をはじめ、円熟期の作「里寸(りす)」、晩年の作ながら新しい題材に取り組んだ「丘」などを収蔵しています。

 古径の素描は梶田半古塾時代の写生や画稿、「源氏物語絵巻」などのさまざまな絵巻物や仏画などの模写も含み、「古径芸術の源泉」ともいうべき貴重な作品群です。さらにこれらの収蔵品に加えて、1950年に受章した文化勲章や印章、愛用の画材類や身の回りの品も収蔵しています。

  1. 小林古径 「少女」
  2. 小林古径 「里寸」
  3. 小林古径 「鳩」
  4. 小林古径 「柘榴・柿ほか」(素描)

上越市ゆかりの美術作品

 上越市ゆかりの美術作家の作品を約3,300点収蔵しています。絵画をはじめ、彫刻や工芸、写真、書など、幅広い分野の作品を収集しています。

  1. 川合清 「麗」 (日本画)
  2. 柴田長俊 「雲ながれゆく」(日本画)  
  3. 牧野虎雄 「小春」(洋画)
  4. 倉石隆 「粉雪が舞う」 (洋画)
  5. 富岡惣一郎 「妙高山」 (洋画)
  6. 岩野勇三 「ゆきずり」(彫刻)
  7. 齋藤三郎 「色絵椿文壺」(工芸)

 


1. 小林古径 「少女」1898年頃(明治31年頃) 67.8×54.8センチ 絹・着色 軸装

 小林古径「少女」(写真)
 古径は1890年(明治32年)、16歳でに上京し、画家・梶田半古に入門する。この作品は、上京前後、若かりし頃の作と言われている。傘をさし、振り向くポーズは浮世絵の美人画を連想させる一方、顔立ちや身体の肉付きは西洋的な写実性や立体感を意識して描かれており、学んだ技術を生かそうと努力した跡が見て取れる。

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2. 小林古径 「里寸(りす)」 1936年(昭和2年) 121.0×36.0センチ 絹・彩色 軸装

  小林古径「りす」(写真)
 りすのぴんと立った耳、ふんわりと丸まった尻尾など、細部まで神経の行き届いた描写をみせる。柘榴の枝葉の下に十分な余白を取り、調和のとれた見事な構図となっている。愛らしい動物のしぐさに心が和む作品。

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3. 小林古径 「鳩」 1927年(昭和2年) 116.0×41.7センチ 絹・彩色 軸装

 小林古径「鳩」(写真)
 上部に大きく余白を取り、つがいの鳩を描いている。細やかな羽根の表現は、古径の丹念な写生の成果であろう。古径40代、円熟期の落ち着いた作風が魅力となっている。

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4. 小林古径「柘榴・柿ほか」(写生) 1949年(昭和24年) 36.7×49.8センチ 紙・着色 額装

 小林古径「柘榴・柿ほか」(写真)
 虫食いのある青柿や折れた枝を丁寧に写生した作品。画面左下には「24.9.1 kitty台風」と書かれており、台風後、庭に落ちていた実や枝葉をスケッチしたものであることがわかる。古径66才の作であり、生涯を通して写生を怠らなかった古径の姿勢がうかがえる。

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5. 川合清「麗」 128.5×79.0センチ 紙・着色 額装

 川合清「麗」(写真)
 深い赤を背景に白く浮かび上がるように女性が描かれている。凛とした表情や謎めいた雰囲気が作品の魅力となっている。川合清は1918年(大正7年)、東京に生まれた。東京美術学校を卒業後、同校で教鞭をとる。1960年(昭和35年)から新潟大学教育学部高田分校に勤務する。1982年(昭和57年)から上越教育大学に勤務し、1987年(昭和62年)に定年退官するまで後進の指導にあたった。日本画院展、日展、日本美術協会を中心に多数の出品および受賞歴がある。

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6. 柴田長俊「雲ながれゆく」 1999年(平成11年) 162.1×130.3センチ 板・着色 額装

柴田長俊「雲ながれゆく」(写真)
 雄大な妙高山の姿を描いている。裾野に銀色の雲がかかり、鬱蒼とした森の中を流れていく。柴田長俊は1949年(昭和24年)、上越市に生まれた。1976年(昭和51年)、多摩美術大学大学院日本画科修了。1985年(昭和60年)、文化庁芸術家在外研修員としてスペイン・カタルーニャ美術館でロマネスク壁画の模写を行う。創画会会員。長年にわたり「生と死」、「祈り」などをテーマに制作を続けてきたが、近年は故郷の風景をモチーフとした作品を手がけている。

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7. 牧野虎雄「小春」 1933年(昭和8年) 50.0×60.6センチ カンヴァス・油彩 額装

牧野虎雄「小春」(写真)
 晩秋の暖かな日差しの中、農夫が鍬を打っている。特徴的なのは、筆あとを残すように表される点々や何本もの線であり、明るい色調の中にリズム感や湧き出るような生命感を生み出している。戸外での写生を重んじ、心の眼でとらえた独自のデフォルメを生涯かけて追求した。小春は牧野虎雄は1890年(明治23年)、中頸城郡高城村(現・上越市)に生まれる。東京美術学校在学中に文展で入選を果たし、早くからその実力が認められた。本作を描いた43歳の頃には多摩帝国美術学校創設に奔走している。

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8. 倉石隆 「粉雪が舞う」 1985年(昭和60年) 145.5×97.2センチ カンヴァス・油彩 額装

 倉石隆
 粉雪が舞う中、外套を着て歩く人物。人の姿も声も雪の中にかき消されそうに見える。倉石は「本当のことが描いてある絵は強い」と語り、人物の内面や本質に迫ることを信条とした。倉石は初代高田市長・倉石源造(くらいしげんぞう)の次男として生まれる。旧制高田中学校を卒業後、太平洋美術学校に学ぶ。26歳の時、文展に入選。1964年(昭和39年)には主体美術協会の創立に加わる。1972年(昭和47年)、舟見倹二や筑波進など雪国出身の作家で結成した「ネージュ展」(仏語で雪の意味)に参加した。

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9. 富岡惣一郎「妙高山」 1983年(昭和58年) 130.3×95.5センチ カンヴァス・油彩 額装

富岡惣一郎「妙高山」(写真)
 妙高山は、新潟県を代表する山の一つで、日本百名山に選定されている名山である。上越市ゆかりの作家たちにとっては、故郷(ふるさと)の身近な山として格好の画題になった山で、富岡も妙高山を描いた作品を何点か残している。まず深い青色の上に白い絵の具を塗り重ね、半乾きの時にペインティングナイフで白い絵の具を削り取ることで、山容を形作ってゆく。大きく裾野を広げる雄大な妙高山を表している。

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10. 岩野勇三「ゆきずり」 1967年(昭和42年) 22.5×24.0×75.0センチ

岩野勇三「ゆきずり」(写真)
 全国有数の豪雪地・高田に生まれ育った岩野は、降り積もった後の狭い雪道を譲り合って行き交う風景を日常的に目にしていた。本作は、角巻(女性の防寒具)を着た人が、雪道の往来の際に脇に寄って待つ姿を表しており、互いに道を譲り合う人々の心の温かさがうかがえる。岩野は1931年(昭和6年)に高田市(現・上越市)寺町に生まれる。上京し、佐藤忠良に師事。1955年(昭和30年)、新制作新制作協会展に初入選。以後、入選を重ねる。1991年(平成3年)、高田城址公園内に「岩野勇三 ブロンズコーナー」が設置された。

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11.齋籐三郎「色絵椿文壺」 1970年頃(昭和45年頃) 器高20.0センチ 磁器

齋藤三郎「色絵椿文壺」(写真)
 壺に配した窓絵には、齋藤が得意とした雪椿が描かれている。意匠(デザイン)に傾きすぎず、自然の草花の姿をおおらかな筆づかいでとらえている。齋藤は1948年(昭和23年)、弟子の志賀重雄と高田寺町の久昌寺裏に窯を築き、色絵磁器や白磁を中心に多くの作品を残した。近藤悠三・富本憲吉のもとで腕を磨いた実力と、親しみのある作風で多くの人から支持された。戦時中、東京から疎開してきた小田嶽夫や堀口大学、濱谷浩らとも交流があった。

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