「なつかしき表紙絵 玉井力三展」展覧会チラシ [PDFファイル/813KB]
上越市出身の洋画家・玉井力三は、1908年(明治41年)、新潟県中頸城郡柿崎村(現・上越市柿崎区)に生まれました。幼い頃から絵を描くのが好きだった玉井は18歳の時、中村彝(つね)の作品を見て感銘を受け、画家を志します。1928年(昭和3年)には「太平洋画会研究所」に入所し、中村不折(ふせつ)に師事しました。翌年に描いた「三笠艦橋の図(みかさかんきょうのず)」(模写)を見ると、21歳にして相当の描写力、表現力を有していたことがわかります。戦時中は「新京美術院東京分室」に勤め、画家として軍部の仕事に従事しています。
終戦後、玉井は作品発表の場を求めて、1947年(昭和22年)、洋画団体「示現会(しげんかい)」の立ち上げに加わります。一方でその翌年、「月刊讀賣」の表紙絵を手がけています。これを皮切りに表紙絵画家としての仕事は増え続け、特に学年誌と言われる子ども向け雑誌の表紙絵画家として活躍していくことになります。実に20年以上にわたり表紙絵を描き続け人々に親しまれた画家・玉井力三の仕事をふり返るとともに、洋画家として写実的な画風で一時代を築いた玉井の画業を紹介します。
令和6年7月6日(土曜日)~9月1日(日曜日)
月曜日(祝日の場合はその翌日)
(注)8月13日(火曜日)は開館
午前9時~午後5時
区分 | 個人 | 団体 | 障がい者手帳をお持ちの方と 介助者1名 |
年間入館券 | 5館共通入館券 |
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一般 | 510円 | 410円 | 260円 | 1,500円 | 1,000円 |
高校生 | 260円 | 210円 | 130円 | 700円 | 500円 |
小学生・中学生 (市外) | 260円 | 210円 | 130円 | 700円 | 450円 |
(注)7月20日(土曜日)は、「美術館ファミリー・デー」として、18歳以下の方および18歳以下の方と同伴するご家族2名が無料で入館できます。年齢がわかる証明書等をご提示ください。
(注)5館共通券など、ほかの割引との併用はできません。
以下のいずれかに該当する方の入館料が半額となります。
(注)5館共通券など、ほかの割引との併用はできません。
以下のいずれかに該当する方の引率者・付き添い・介助職員について、入館料が無料となります。
虫取り、運動会、クリスマス、雪合戦。ずらりと並んだ絵には、季節ごとの行事を楽しむ子どもたちの姿が生き生きと描かれています。これらの作品は、上越市柿崎区出身の画家・玉井力三が「学年誌」表紙のために描いたものです。学年誌は、昭和40年代に全盛期を迎えた学年別学習雑誌の略称で、玉井は1954年(昭和29年)から約20年にわたって表紙絵を描きました。その人気ぶりは相当なもので、1959年(昭和34年)には小学館、講談社、学習研究社、主婦と生活社の4社が発行している雑誌に、1年で102点もの表紙絵を制作しています。生涯を商業美術家として過ごした玉井は、表紙絵自体は大変な人気を博しましたが、画家としての名前は、これまでほとんど知られないまま過ごされてきました。
ここでは、玉井力三の表紙絵原画を当時の学年誌とともに展示します。また、どのように表紙絵が描かれたのか、その制作過程について紹介します。
(1枚目)玉井力三「小学一年生」表紙絵原画、1964年11月号(個人蔵) (2枚目)玉井力三「小学二年生」表紙絵原画、1970年1月号(個人蔵)
昭和40年代に全盛期を迎えた「学年誌」のルーツは大正時代にさかのぼります。1922年(大正11年)、相賀武夫(おうが たけお)が東京・神田に「小学館」を創業し、同年9月に、世界でも類を見ない学年別学習雑誌「小學五年生」「小學六年生」10月号を発行しました。低学年向けの雑誌も次々と発刊され、1932年(昭和7年)には「子供園」「幼稚園」が誕生し、「子供園」から「小学六年生」まで、いわゆる「八大学習雑誌」が揃いました。ベビーブームの波に乗り学年誌の発行部数が伸びてくると、講談社や学習研究社など、各社が競い合う時期に入ります。中でも「ふろく」を魅力に読者の心を掴んだのが小学館でした。高度経済成長期に入ると、東京タワーや大阪万博模型などの時代を反映したものや、漫画やアニメのキャラクターが付いたものなど、豪華で多彩なふろくが登場します。
ここでは玉井の活躍の場となった学年誌の歴史をふりかえるとともに、小学館の協力のもと、子どもたちに夢を与えた楽しい「ふろく」を展示します。
(1枚目)東京タワー「小学二年生」ふろく、1968年9月号(小学館蔵) (2枚目)レコードセット「小学二年生」ふろく、1969年3月号(小学館蔵)
幼い頃から絵を描くのが好きだった玉井力三は、18歳の時、中村彝の作品を見て感動し、画家を志します。昭和3年(1928)、20歳で「太平洋画会研究所」に入所し中村不折に師事しました。翌年に描いた「三笠艦橋の図」(模写)を見ると、若くして相当の描写力、表現力を有していたことがわかります。戦時中は「新京美術院東京分室」に勤め、画家として軍部の仕事に従事しています。
終戦後、玉井は画家として再起を図ろうと、昭和22年(1947)、洋画団体「示現会」の立ち上げに加わります。商業美術家として、地元・柿崎と東京都を行き来し多忙な日々を送りながら、示現会展には数年おきに出品を続け、亡くなるまで創立メンバーとして在籍しました。晩年、玉井は柿崎で「北彩会(ほくさいかい)」という絵画サークルを主宰するなど、故郷の文化芸術の発展に貢献しました。
ここでは、確かな描写力に裏打ちされたデッサンや油絵を展示し、玉井の画家としての側面を紹介します。
(1枚目)玉井力三「椿咲く頃」(個人蔵) (2枚目)玉井力三「姉妹」、1973年(個人蔵)
展覧会に合わせ、さまざまなイベントを開催します。お気軽にご参加ください。
(注)状況により、イベントの日程・内容の変更や、開催が中止になる場合があります。
玉井力三についてもっと知りたい方のため、スライドで30分間の解説をします。
各イベントの申込開始日以降、メールか電話にて、先着順で受け付けます。イベント名、お名前、住所、電話番号を明記してください。
メールアドレス:kokei-koza@city.joetsu.lg.jp(迷惑メール防止のため、@を全角にしています。メール送信時は@を半角にしてください)
電話番号:025-523-8680
商業美術家・玉井力三の仕事の全貌とその魅力について語ります。
油絵について知り、色味や質感を味わいながら描いてみます。