(注)本展覧会は終了しました。
明治17年(1884年)、東頸城郡菱里村真荻平(現上越市安塚区真荻平)に生まれた森成麟造(もりなり りんぞう)は、仙台医学専門学校(現東北大学医学部)で学び、東京の病院勤務を経て、明治44年(1911年)に高田で開院しました。
麟造は医業のかたわらで多彩な趣味をもち、東京勤務時代に主治医をつとめた夏目漱石との交流も深く、漱石が亡くなった翌年の大正6年(1917年)からほぼ毎年「漱石忌句会」を開催したりするなど、多くの文化活動の中心にいました。
麟造は遺跡調査、考古資料の収集にも熱心で、縄文土器や石器、古墳時代の勾玉や中世の古銭など多様な資料を収集し、採集日や場所の記録を書き残すなど、上越地域の考古学・歴史研究の発展に大きな役割を果たしました。
麟造の集めた考古資料1,379点は、「森成麟造考古資料コレクション」(森成コレクション)として、平成2年(1990年)に当館へ寄贈されました。
本展では、森成家所蔵資料や森成コレクションを中心に、麟造の研究の業績と、多方面で活躍した麟造の生涯について紹介します。
企画展「森成麟造 上越考古学の先覚者」チラシ [PDFファイル/2.26MB]
和暦 | 西暦 | 事柄 |
---|---|---|
明治17年 | 1884年 | 2月13日、東頸城郡菱里村真荻平で生まれる。 |
明治35年 | 1902年 |
高田中学校(現新潟県立高田高等学校)を卒業。 |
明治39年 | 1906年 | 東京の長与胃腸病院で勤務をはじめる。 |
明治43年 | 1910年 | 夏目漱石の胃潰瘍を治療する。 |
明治44年 | 1911年 | 高田に森成胃腸病医院を開業する。 |
大正6年 | 1917年 | 第一回漱石忌句会を開催する。 |
大正8年 | 1919年 | 上越音楽倶楽部を設立、初代会長をつとめる。 |
大正15年 | 1926年 |
上越考古学会を設立する。相馬御風が初代会長、麟造は副会長。 |
昭和23年 | 1948年 | 大手町小学校の初代PTA会長をつとめる。 |
昭和25年 | 1950年 | 上越郷土研究会を設立、初代会長をつとめる。 |
昭和30年 | 1955年 | 9月16日、71歳で死去。 |
令和4年7月2日(土曜日)から8月28日(日曜日)まで
午前9時から午後5時(入館券の販売は午後4時30分まで)
月曜日(7月4日、7月11日、8月22日)
(注)観蓮会期間中(7月16日(土曜日)から8月21日(日曜日)まで)は無休
(注)新型コロナウイルス感染症の状況により、臨時休館となる場合があります。
区分 | 個人 | 団体 |
---|---|---|
一般 | 510円 | 410円 |
小学生・中学生・高校生 | 260円 | 210円 |
担当学芸員による展示解説会を行います。
参加費は無料ですが、観覧料が必要です。事前申し込みは不要です。
令和4年7月23日(土曜日)、8月7日(日曜日)
時間はいずれも午前11時から正午まで
当館企画展示室
企画展「森成麟造 上越考古学の先覚者」展示リスト [PDFファイル/228KB]
森成麟造肖像(濱谷浩撮影©片野恵介)
昭和25年(1950年)12月に写真家の濱谷浩によって撮影されたもの。 「漱石忌句会」の際のものと考えられています。
夏目漱石寄贈 森成麟造使用シガレットケース(森成家所蔵)
夏目漱石から森成麟造へ贈られた銀製のシガレットケース。表面には麟造の治療に対する漱石の感謝の言葉と俳句が刻まれています。
森成麟造考古コレクション全景(当館所蔵)
森成麟造が収集した桐箱数104箱、資料数1,379点におよぶコレクションです。
子持勾玉(森成コレクション 当館所蔵)
保倉村青野(現上越市青野)から出土したとされる資料。子持勾玉は勾玉本体の腹や背、脇に小さな勾玉状の突起があるものです。
クリス形石剣(森成家所蔵)
昭和2年(1927年)、潟町村潟町(現上越市大潟区潟町)で発見された資料。昭和14年(1939年)には国の「重要美術品」に認定されました。
企画展パンフレットを頒布しています。
電話・メール注文も受け付けております。詳しくは、図録ほか販売のページをご覧ください。