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近代上越の事業家・実業家

印刷用ページを表示する 掲載日:2024年3月23日更新

明治初期

 明治のはじめ、最初に上越にやってきたのは石油ブームでした。その昔、「くそうず」とよばれてやっかいものだった石油は、にわかにゴールドラッシュならぬ「オイルラッシュ」を上越にもたらしました。清里・牧、名立、そして郷津などでは、たちまち石油削井櫓が立ち並び、富裕な地主層も、またその日暮しの抗夫も一攫千金の夢に沸き立ったのです。高田近郊には、石油精製所がいくつもできました。直江津や高田横町の歓楽街では、石油のにおいがする人が人気だったといいます。しかし、石油で財を築き、それを残すことは実際には難しかったようです。金子富作西條太造、そして笠尾惣治らは石油で成功した数少ない人々の代表です。

明治中期~

 石油の活況や日露戦争がもたらした好景気、そして第十三師団の高田入城などに下支えされながら、明治中期から大正期の諸産業は飛躍的に伸びていきました。地主層の資本は石油をはじめとする新しい産業に投入されていきました。
 川上善兵衛は、ワインに魅せられてブドウ栽培に生涯を捧げます。また、有澤富太郎はバテンレースに注目して一時代を築きました。こうした産業や農業の振興のため、成資銀行や安塚銀行などの新しい銀行がつぎつぎに開かれていきます。富永孝太郎はやはり資金の融通を目的とした多くの産業組合の設立に貢献しています。大竹謙治は頸城鉄道やバスを走らせて、交通の面から産業振興を後押ししました。高橋達太は、港に夢を見て板倉から直江津へ進出しました。佐渡汽船を設立した古川長四郎は、旧態依然としていた直江津港の設備の近代化を志しましたが、その実現はずっと後になるのでした。
 地主層がそれぞれの資本を活かして上越を舞台に活躍を続けた一方で、地主層の次男・三男などのなかには、活動の場を上越以外に求めた人もいました。中村十作小林富次郎、そして小池仁郎はふるさとを離れて事業を興した人です。逆に、国友末蔵に代表されるように、他の地域から上越にやってきて活躍した人物も見逃すことはできません。また丸田治太郎のように地元と台湾との両方に地盤をおきながら活躍した事業家も見られます。陸川三次は、頸南地域でいち早くトラックを導入して運送業を開始し、トラック一台で時代を駆け抜けた人です。

大正期

 大正期、次第に石油ブームは下火になりました。また、昭和に入って、金融恐慌や世界恐慌、そして第十三師団の廃止に上越の産業は大きな打撃を受けます。その後は戦時下統制の時代となり、大きく花開いた明治・大正の上越の産業も火が消えたように静かになっていくのでした。
 しかし、直江津港を出入する船を眺め、大通りを往来するバスに乗り、バテンレースの繊細さに感心し、地元のワインに舌鼓を打つとき、たしかに彼等が蒔いた産業の種が、いまでもこの上越の地にしっかりと根付いていることを感じます。

主な人物

  1. 金子 富作(かねこ とみさく):名立谷石油株式会社を設立。名立油田の詳細な記録を残した
  2. 西條 太造(にしじょう たぞう):牧油田の開発に力を注ぎ、晩年は牧村長や安塚銀行重役を歴任
  3. 笠尾 惣治(かさお そうじ):日本初の石油パイプライン敷設の立役者
  4. 川上 善兵衛(かわかみ ぜんべえ):家産を傾けて岩の原葡萄園を開園し、研究生活に没頭
  5. 有澤 富太郎(ありさわ とみたろう):バテンレースの最盛期を築く。有沢製作所を設立
  6. 富永 孝太郎(とみなが こうたろう):アメリカ留学から帰国後、信用組合の設立に尽くす
  7. 大竹 謙治(おおたけ けんじ) :頸城鉄道(現在の頸城自動車株式会社)の創始者
  8. 高橋 達太(たかはし たつた) :直江津に高橋回漕店を設立。石炭王と評されるようになる
  9. 古川 長四郎(ふるかわ ちょうしろう):佐渡汽船の設立と直江津港の設備改善に尽くす
  10. 中村 十作(なかむら じゅうさく):真珠養殖に出向いた宮古島で人頭税廃止運動に奔走
  11. 小林 富次郎(こばやし とみじろう):東京で開業した小林富次郎商店がライオン株式会社に発展
  12. 小池 仁郎(こいけ にろう):単身北海道に渡りサケ・マスの人工孵化に取り組む
  13. 国友 末蔵(くにとも すえぞう):蔵々発電所を手始めに数々の水力発電所建設を手がける。高田名誉市民第1号
  14. 丸田 治太郎(まるた じたろう):台湾へ渡り、台湾製糖の発展の基礎を築いた
  15. 陸川 三次(りくかわ さんじ):頸南地域で初めてトラック運送を開業
  16. 飯田 茂勝(いいだ しげかつ):保倉川に発電所を建設し、保倉川電気株式会社を設立
  17. 太田 孫次右衛門(おおた まごじうえもん):衆議院議員の後、赤倉温泉開発や知命堂病院創立に尽力
  18. 小熊 善次郎(おぐま ぜんじろう):安塚銀行の設立に尽くし、初代取締役に就任
  19. 小田 仁作(おだ にさく):農村の金融を担うため成資銀行を設立
  20. 塩崎 貞佐久(しおざき ていさく):浦川原区塩崎家を継ぐ。兄・小熊善次郎とともに安塚銀行に尽力。