スキー訓練(左から5人目がレルヒ。後ろの山は南葉山)
今から約100年前の1911年(明治44)1月12日、日本ではじめてのスキー指導が上越市で行われました。指導したのは、当時のオーストリア・ハンガリー帝国の軍人で少佐のレルヒ(42歳)でした。その指導を受けたのは、大日本帝国陸軍の長岡外史が師団長をつとめる第13師団歩兵第58連隊の将校たちでした。
スキーが日本に伝わる少し前、日本は大国・ロシアとの戦争に勝利しました。その後、さらに日本は軍隊の力を大きくするため、「師団」を増やしました。一方、江戸時代には越後一の城下町であった高田は、明治になると賑いを失いかけていました。そこで、高田の人たちは、師団を高田によんで活気づかせようとしました。この運動は見事に成功し、第13師団が高田に置かれて町が活気づくとともに、日本で初めてのスキーを呼びこむことになったのです。
レルヒがスキーを伝えた当時は、女性がスポーツをするなどということは考えられない時代でした。師団長・長岡外史は、女性がスキーをすれば、ますます国民に広まるだろうと考え、自分や将校たちの家族にスキーの練習をさせました。
女性たちのスキー練習
1912年(明治45)1月21日、金谷山の近くで日本初のスキー競技会が行われました。レルヒが旭川に移る3日前のことです。この競技会には、レルヒをはじめ40人あまりが参加し、長岡師団長をはじめ300人のお客さんや多くの一般市民が応援にかけつけました。
当時の新聞は、選手が武者震いをしながらも、練習の成果を発揮した姿を伝えています。選手は滑ったあとに温かいスキー汁を食べながら、失敗談に花をさかせました。このスキー競技会の様子は、活動写真(昔の映画)によって日本全国に紹介され、上越がスキー発祥の地として知られるようになったのです。
スキー競技会に出場し、無事にゴールして、長岡師団長と握手する選手
日本のスキー発祥について、小・中学生用に分かりやすく解説した小冊子「日本スキー発祥のはなし」(A4サイズ、8ページ)です。
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