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江崎長三郎

印刷用ページを表示する 掲載日:2021年12月1日更新

名立の生んだ明治期の名工

江崎 長三郎 (えざき ちょうざぶろう)

生年1831 没年1902

三代目長三郎として生まれる

1831年(天保2年)8月26日江崎長三郎は、二代目長三郎の子として生まれました。本名は板谷長三郎でしたが、住所から江崎(現名立区名立小泊)の姓を通称に使用しました。長三郎は若いころから才能を発揮し、名立小泊の日前神社別宮の古登比良神社は16歳の時の建築と伝えられています。

名工として知られる江崎兄弟

長三郎は12歳年下の弟弥代吉(江崎規定)と組んで優れた建築物を数多く残しました。江崎兄弟の仕事は、五智国分寺三重塔、国府別院本堂対面所、安塚区小黒専敬寺、妙高市東本願寺別院大門などが知られています。彼らの評判は県外にも及び、京都東本願寺大門、長野県の寺院などを手がけました。

「規矩階梯(きくかいてい)」 を出版する

江崎兄弟は自らの技術を磨くとともに、後継者の育成にも力を注ぎました。その参考書として、1882年(明治15年)規定が著し長三郎が校閲の「規矩階梯」天・地・人三巻を発行しました。内容は建築の手引き書で、様々な図面を用いて設計上の注意や要点が記されています。
この本は、1904年(明治37年)甥の定一が増補再出版し、1913年(大正2年)に10万部を超えるベストセラーになりました。これを記念して、発行者の室直三郎は江崎兄弟の記念法要を行いました。

国宝級神社仏閣の建築修理をおこなう

長三郎の名声は全国にも及びました。東京帝国大学(現東京大学)教授で高田出身の関野貞博士の依頼を受けて、奈良唐招提寺など国宝級神社仏閣の建築修理にあたりました。また、長三郎は彫刻にも優れ、大菅諏訪神社の「狛犬一対」などの作品を残しています。1902年(明治35年)11月、弟規定、甥定一、長男長蔵らの名工一族を育てた長三郎は71歳で亡くなりました。

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