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古川長四郎

印刷用ページを表示する 掲載日:2021年12月1日更新

佐渡汽船に直江津の将来を託す

古川長四郎(ふるかわちょうしろう)

生年1895 没年1949

直江津古川家と長四郎

古川長四郎は1895年(明治28年)に生まれました。 1925年(大正14年)に家を相続するまでは寅治を名乗っています。古川家は古くから直江津で廻船問屋を営んだ家で、代々長四郎を襲名しました。寅治の父である第6代長四郎も回漕業を営みながら、直江津米穀取引所理事や直江津商工会議所会頭を務めるなど、長く直江津港の振興に尽くした人物でした。

佐渡商船から佐渡汽船へ

高田中学・慶応義塾を経て帰郷した寅治は、柿崎の小松富美と結婚。家を相続して長四郎と名を改め、 1926年(大正15年)には第4代佐渡商船株式会社社長に就任しました。当時の直江津はまだ石炭荷揚げで賑わっていましたが、貨物船を直接岸壁につけることができないままであり、さらに河口は堆積により毎年浅くなるなどの問題を抱えていました。こうした状況を憂いた長四郎は、直江津港の修築を掲げて県会議員としての活動も始めました。
1932年(昭和7年)4月20日には、長四郎の働きかけによって、新潟汽船・越佐商船、そして佐渡商船の三社が合併し、新潟県が株式の半分を保有する佐渡汽船株式会社が設立され、長四郎が初代社長に就任します。
1928年(昭和3年)をピークに、港の荷揚量が極端に減り始めていたこの時代、佐渡汽船は直江津港に新たな賑わいをもたらしました。

直江津町長として

県会議員としての業績や実業家としての手腕を替われた四郎は、1942年(昭和17年)8月に47歳で直江津町長に就任しました。「直江津港修築工事期成同盟会」を組織するなど、県議会議員のころからの宿願である直江津港の修築事業に力を注ぎますが、すでに太平洋戦争に突入しており、直江津港の修築は実現をみないまま終戦を迎え、1946年(昭和21年)11月に惜しまれつつ町長を辞任しました。
石塚六三郎や高橋達太、そして父長四郎らのあとを受けて直江津港の発展に力を尽くした7代古川長四郎は1949年(昭和24年)9月、54歳で亡くなります。直江津港が第二種重要港湾の指定を受けたのは、それから間もない1951年(昭和26年)のことでした。

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