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池田和夫

印刷用ページを表示する 掲載日:2021年12月1日更新

生活綴方教育の全国に知られた指導者

池田 和夫 (いけだ かずお)

生年1905 没年1945

菅原村 今曽根で生まれる

1905年(明治38年)10月12日、池田和夫は菅原村大字今曽根(現清里区今曽根)で父 盛治と母 ミヨの長男として生まれました。和夫は有恒学舎で増村 朴斎の指導を受けた後、高士小学校で代用教員を務め、高田師範学校を経て、1926年(大正15年)原通村立第一尋常高等小学校に赴任しました。

綴方教育の実践を薦められる

同校で和夫は関原悌次校長から綴方教育の実践を薦められました。綴方教育とは社会の現実を観察して綴方(作文)を行い、お互いの作品を読み合うことで社会的認識力と生きる力を育てるねらいがありました。

文集「星空」を発行する

1928年(昭和3年)、和夫は高田市立第二尋常小学校(現上越市立東本町小)に異動し、本格的に綴方教育の指導に取り組みました。赴任すると和夫は4年生を担任し、翌年には詩歌集「子馬」を、続いて詩歌集「春影」を発行しました。また、その学年が卒業する1931年(昭和6年)には文集「星空」を発行し、全国22校に贈りました。

綴方教育の指導者として知られる

同年4月、和夫は新一年生の担任となり、文集「銀光」を発表しました。この中の児童作品には身近な自然や生活を観察・調査・記録することで現実を正しく認識させる指導が施されました。この文集の発表で、和夫の名前は生活綴方連盟の優れた指導者として、全国的に知られました。
1941年(昭和16年)11月25日午前3時頃、和夫は自宅で「治安維持法」違反を理由に特高警察に逮捕されました。これは綴方教育指導者への不当な弾圧でした。和夫は2年後の3月に出所しますが病に侵され、1945年(昭和20年)3月30日に40歳で亡くなりました。

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