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池永隆勝

印刷用ページを表示する 掲載日:2021年12月1日更新

全国初の有線放送を行う

池永 隆勝 (いけなが りゅうしょう)

生年1913 没年1998

神戸で新しい文化にふれる

1913年(大正2年)1月4日池永隆勝は、牧村大字原(現牧区原)の明願寺に父 僧勝と母 チヨの間に生まれました。病弱な隆勝は原小学校を卒業後、京都平安中学校に学びますが、結核のため神戸市の親戚医師宅で1年間の療養生活を余儀なくされました。この時、隆勝は親戚の西洋館2階でラジオ、レコードを自由に聞き、1929年(昭和4年)の神戸にあふれる西洋文化の香りを十分吸収しました。

帰郷してラジオの共同聴取を開始する

1930年(昭和5年)、隆勝は病気治癒の見込みのないまま帰郷します。すぐにラジオを購入して放送受信に努めますが、牧村は電波状況が悪く、安定受信が可能になったのは、24時間電気供給が行われる1936年(昭和11年)からでした。 1937年(昭和12年)隆勝は、自分のラジオと近所の佐藤理容店のスピーカーとを針金(有線)で結び「共同聴取」を始めました。同年は3戸でしたが、村民の要望で範囲は年々拡大し、1945年(昭和20年)には560戸を数えました。

村民のために自主放送を行う

放送は朝5時から夜0時までNHK番組と自主放送で編成されました。自主放送では隆勝が火事、配給、出征・戦死など役場からのお知らせを伝えました。戦後も要望に応えて、高出力アンプやチューナー、レコードなどを購入して自主放送の充実をはかりました。
1968年(昭和43年)、この有線放送はテレビの普及により役割を終えますが、約30年に及び多額の私費を投じて機器を備え、情報を伝えた隆勝の功績は大きいものでした。

教育者として地域に貢献する

隆勝は有線放送の充実に加え、住職、日曜学校の開催、文芸誌編集など多忙な日々を送り、いつの間にか結核は全快していました。晩年まで牧村教育委員長を務めるなど地元社会に貢献した隆勝は1998年(平成10年)11月3日85歳で亡くなりました。

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