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川上善兵衛

印刷用ページを表示する 掲載日:2021年12月1日更新

風土に適したワインの開発

川上善兵衛(かわかみぜんべえ)

生年1864 没年1944

岩の原葡萄園を開園する

6代川上善兵衛は、1868年(慶応4年)3月10日、北方村(現・上越市北方)で生まれました。
当時、明治新政府は、近代化促進のためワイン造りについても農業の振興と輸入の増大を防ぐ意味から、各地で奨励しはじめていました。善兵衛も郷土に新しい農産を興そうと土屋龍憲・小澤善平などから葡萄栽培とワイン造りを学びました。
1890年(明治23年)、周囲の心配をよそに、庭園を壊して葡萄栽培の畑を作り「岩の原葡萄園」と名づけました。
善兵衛は学究肌の人で、1897年(明治30年)と1899年(明治32年)に「葡萄種類説明目録」「葡萄栽培書」を刊行しました。前者には勝安芳(海舟)が題字を揮毫し、後者には品川弥二郎が序文を寄せています。
その後、順風満帆な経営が続き、1902年(明治35年)5月には皇太子(後の大正天皇)が岩の原葡萄園へ来遊し、園内を視察したのち、ワインを求めました。また、1904年(明治37年)の日露開戦では「菊水印葡萄酒」が陸・海軍の衛生材料に採用され、岩の原葡萄園に大きな収益をもたらしました。

葡萄の品種改良に生涯を捧げる

しかし、当時のワインは栄養・保健的意味合いが強く、また、輸入ワインも安価で入ってきて、経営的には日露開戦以降徐々にかげりがではじめていました。
そこで善兵衛は、わが国の気候風土に適し、しかも良質ワインの原料となる新しい葡萄の生産に乗り出します。それは、欧州の優良種を父木とし、樹勢強健な米国種を母木として交配し、ひとつの新品種を世に出そうというもので、20数年という月日が必要でした。
善兵衛は苦労の末、マスカット・ベーリー・A、ブラック・クイーン、ローズ・シオターなど、今も栽培されている川上新品種を生み出しました。
1941年(昭和16年)、日本農学会は善兵衛の論文「交配に依る葡萄品種の育成」(「園芸学会雑誌」第11巻第4号)に対し、「日本農学賞」を贈って、その功績を称えました。

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