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小林富次郎

印刷用ページを表示する 掲載日:2021年12月1日更新

人々の健康と福祉を願う

小林 富次郎 (こばやし とみじろう)

生年1852 没年1910

身近な「ライオン」

私たちの身の回りで、「LION (ライオン)」と書かれた商品をたくさん目にすることができます。石鹸や洗剤、歯ブラシや歯磨き粉、朝から晩まで私たちはライオンの製品を目にしないことはないかもしれません。小林富次郎はこのライオンの創業者です。

柿崎区直海浜から東京へ

富次郎は1852年(嘉永5年)、父母の出稼ぎ先だった埼玉県で次男として生まれました。4歳のとき、父母の郷里である直海浜村(現柿崎区直海浜)に戻り、16歳まで家業である酒造業と漁業に励みましたが、兄 清蔵が継いだ酒蔵は経営不振に陥っていきます。富次郎は、25歳のとき東京の石鹸工場で働くことになり、翌年には出資者の一人に選ばれました。このとき、清蔵はすべての家財を売却して富次郎の出資金を作り、また小林家の負債を清算して富次郎を助けました。富次郎は働き始めて数年のうちに支配人を任されるようになります。

小林富次郎商店

順調であるかに見えた石鹸工場は、突然解散してしまいます。富次郎は神戸の石鹸工場の共同経営者となり、石鹸やマッチ軸木の改良に努めました。このころキリスト教に出会い、会社で夜間学校を開校するなど、社会福祉にも関心を持ち始めました。しかし、東北地方の大洪水でマッチ軸の原木が流出してしまい事業は失敗。
富次郎自身も病魔に犯されていきました。回復後の1891年(明治24年)10月30日、富次郎は東京神田柳原河岸に小さな商店を開きます。その名も小林富次郎商店。以前からの仕事のつながりで、石鹸や軸木などを扱う商店でした。その後、富次郎自身がヤシ油から石鹸を製造したり、のちの会社名となるライオン歯磨きを試行錯誤の末に完成したりするなどの独自の商品開発をすすめ、しだいに小林富次郎商店は大きな会社となっていきました。
晩年の富次郎は、社会福祉に積極的に取り組みましたが、1910年(明治43年)12月13日、58歳で亡くなりました。この年、合資会社ライオン石鹸工場が設立、現在のライオン株式会社に発展していきました。

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