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小池仁郎

印刷用ページを表示する 掲載日:2021年12月1日更新

北海道でサケ・マスふ化事業に取り組む

小池 仁郎 (こいけ にろう)

生年1866 没年1936

北海道に渡る

小池仁郎は1866年(慶応2年)下小船津浜村(現大潟区下小船津浜)で酒造業を営む太市郎の二男として生まれました。1879年(明治12年)新潟師範学校速成科高田支場を卒業後、北海道の根室にいた叔父吉平の養子になりました。成長した仁郎は根室の八木商店に就職し、漁業や建築、経理を学びました。また、同時期には宣教師カーペンター夫妻の教えを受けて、熱心なクリスチャンとなりました。

サケ・マス孵化場の設置

1893年(明治26年)、別海町春別に魚場の権利を得て、漁業家として独立した仁郎は、人々からの信望を集め、根室漁業組合や根室昆布組合の代議員を務めました。また、自らの経験から「育てる漁業」の必要性を痛感して、サケ・マス増殖事業に熱心に取り組みました。
1903年(明治36年)、彼はサケ・マスの増殖を目的とする孵化場を西別川河口から80キロ上流に設置し、標津川ほか6河川の上流にも同様の孵化場を新設しました。このサケ・マス孵化場の設置と増殖・品質改良への取組みは、日本の漁業界における仁郎の大きな功績となりました。

政治家としての活躍

仁郎は、1900年(明治33年)から根室町町会議員、1904年(明治37年)からは北海道議会議員、1913年(大正2年)からは衆議院議員に7回当選しました。1931年(昭和6年)、第2次若槻内閣では逓信省の政務次官となり、同年11月17日の前島記念館落成式に50年ぶりに帰郷し、潟町村で講演会と歓迎会が行われました。
1936年(昭和11年)1月24日、仁郎は東京下落合の自宅で、狭心症で亡くなりました。
なお、1939年(昭和14年)には、根室に仁郎の銅像が建てられましたが、この像は戦時期に供出されてしまいました。1968年(昭和43年)に胸像が根室公園内に再建されています。

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