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小熊善次郎

印刷用ページを表示する 掲載日:2021年12月1日更新

安塚銀行の設立に尽力した

小熊 善次郎 (おぐま ぜんじろう)

生年1847 没年1907

東頸城郡播種場の場長となる

小熊善次郎は安塚村安塚(現・安塚区)の庄屋であった小熊平一郎の長男として 1847年(弘化4年)に生まれました。
善次郎は父の厳しいしつけと熱心な教育を受けて育ちました。その性格は強い意志と寛容な心を持ち、地域からの厚い信頼を受けて活躍しました。
1880年(明治13年)4月、東頸城郡播種場が安塚村に設立されました。初代場長に就任した善次郎はただちに国内外の水稲優良種子を取寄せて、収量の増産をめざし品種改良に取り組みました。明治後期に東頸城郡内の約5割の水田で栽培された晩生「愛国」はこの施設で試験栽培されて普及したものです。

安塚銀行設立に尽力する

明治10年代、安塚村には郡役所などが置かれ、地域の要所として発展しましたが、産業はわずかな米穀生産、養蚕や酒造にすぎませんでした。とくに新田開発の資金が不足していたため資金を融通す る銀行の開設が急務とされました。そこで、1株50円600株を目標に株式募集を行うと、期待の高さから東頸城郡内から819人の応募がありました。
1896年(明治29年)、善次郎が筆頭発起人となり銀行の認可申請を行い、翌年、安塚銀行が資本金3万円で設立されました。彼は取締役に就任し、のちに実弟の塩崎貞佐久が頭取となって堅実な経営を行い発展しました。

郡政財界の重鎮となる

1886年(明治19年)、県道開通による郡役所等の大島移転計画が起こり、善次郎らは県庁に出向いて移転中止に尽力しました。その後、安塚村長を1893年(明治26年)から1897年(明治30年)、1902年(明治35年)から1906年(明治39年)の延べ8年間、その間に県会議員、郡会議員、村会議員を歴任して、行政面からも地域の発展に貢献しました。1907年(明治40年)5月、明治期の郡政財界の重鎮となった善次郎は60歳で亡くなりました。