民俗芸能の保存と普及に尽力
生年1868 没年1940
1868年(明治元年)、岡田米吉は岡沢村(現中郷区岡沢)に生まれました。米吉は少年期から農業と炭焼きに従事しながら、三味線の演奏に優れ、地元に伝わる民俗芸能の保存と普及に力を注ぎました。
曲目はおもに「春駒」「古代詞」「瀬の」の3曲で踊りをつけて演じました。「春駒」は約200年前に岡沢村に立ち寄った旅芸人が伝えたもので、婚礼や祝いの時にさかんに演じられましたが、明治期になると次第に継承者も減少しました。
大正期、米吉は近所の友人とその子弟及び長男兼蔵からなる一団を編成して、積極的な活動を行います。地元地域のみならず、高田市にあった陸軍偕行社などにおいても発表会を行いました。1928年(昭和3年)11月、昭和天皇即位の御大典記念式典が全国で開催されました。
高田市では、関連行事として郷土芸能の発表会が行われ、岡沢から「春駒」「瀬の」などが米吉らにより披露されました。この晴れ舞台で受けた表彰を記念して、米吉宅の一角に「舞踏記念碑」が建立され、12名の名前が刻まれました。米吉はその後も活動を続けましたが、1940年(昭和15年)4月に72歳で亡くなりました。
1947年(昭和22年)頃になると、長男兼蔵と孫義一が引き継ぎ青年会の活動として、伝統芸能は再び活発に演じられま した。米吉の三味線役は不在のため、ときには親交のあった高田の瞽女(ごぜ)さんが演じました。これは岡沢村が 瞽女宿をつとめた関係からでした。この共演はのちに「県の芸能祭」に出演するなど後年まで続きました。
また、昭和30年代からは岡沢小学校の児童が伝統芸能を学ぶなど、米吉の芸能保存への思いは地域に引き継がれ、1972年(昭和47年)には村の無形民俗文化財に指定されました。
1996年(平成8年)10月、岡沢小学校で三和区岡田、妙高市西野谷、地元岡沢の春駒が参加して、「伝承芸能春駒の集い」が開催されました。米吉らが継承に努めた伝統芸能は、着実に次世代に受け継がれました。