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竹田環

印刷用ページを表示する 掲載日:2021年12月1日更新

西頸城郡選出の県会議員

竹田 環 (たけだ たまき)

生年1862年 没年1911年

竹田家の養子となる

竹田環は、 1862年(文久2年)8月飯田村(現上越市飯田)に生まれ、杉野瀬村(現名立区杉野瀬)の竹田確太郎の養子になりました。同家は第五代勘兵衛が酒造業を営みながら、名立川の下流に向かって右側に用水(現川東用水)を掘り大規模な新田開発を行った名家でした。なお、岩の原ワインで知られる川上善兵衛は、祖父の実家であるこの竹田家で育てられ、1881年(明治14年)に杉野瀬小学校を卒業しています。

養蚕振興に取り組む

明治20年代になると環が家督を相続し、竹田家の経営を行いました。当時の同家は広大な耕作地と米蔵が六つあり、1888年(明治21年) の所有地価額では41,300円と西頸城郡内の第一位でした。1891年(明治24年)頃、環は私費を投じて、村内の有志とともに養蚕伝習所を設立しました。ここに福島県から講師を招き養蚕の振興に努め、郡内有数の養蚕地の基礎を築きました。

学校施設の充実をはかる

1873年(明治6年)、龍昌寺を仮校舎に杉野瀬に小学校本校が置かれました。新校舎は翌年に父 確太郎らの約1,000円の寄付で作られました。1897年(明治30年)には高等科を併設して、村立下名立尋常高等小学校と改称し校舎を増築、この校舎敷地として、環は68坪を寄付するなど教育施設の充実に努めました。現在も地元では、同家の馬の訓練場が旧下名立小学校の敷地となったと伝えられています。

県会議員として活躍する

1893年(明治26年)から1895年(明治28年)の2年間、環は県会議員として西頸城郡から選出されました。県会では改進党派に属して活躍しました。1897年(明治30年)からは西頸城郡会議員として、地元振興のために尽くした環は、1911年(明治44年)4月に48歳で亡くなりました。

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