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上田良平

印刷用ページを表示する 掲載日:2021年12月1日更新

上杉村の村長を30年間務め上げた

上田良平(うえだりょうへい)

生年1861 没年1951

自由民権運動に身を投じて

上田良平は、1861年(文久元年)井ノ口村(現三和区井ノ口)の肝煎(庄屋)の家に生まれました。明治維新の激動は、良平にも国の政治や人々の生活について深く考える機会を与えたと考えられます。青年期の良平は演説会などにたびたび出席し、次第に自由民権運動に引き込まれていったのです。
1880年(明治13年)、鈴木昌司らが鳴鶴社を結成するとこれに参加、さらに頸城自由党に名を連ね、運動に若い血潮をたぎらせていました。
1883年(明治16年)に、頸城自由党員弾圧のために警察主導で発生した高田事件では、良平も拘留されています。37名という大人数を一度に拘留したため留置所の部屋が足りず、当時高田にあった大漁座という劇場を臨時に留置所に改装して、自由党員を拘留しました。留置所から出て移動する際には腰縄をかけられ、黒い覆面をかぶせられるという屈辱を味わったのです。 良平にとって生涯忘れえぬ事件となりました。

上杉村長、県会議員時代

1889年(明治22年)、上杉村(現三和区の一部)村会議員に当選、同じ年には上杉村長となりました。まだ27歳でのことです。良平はこの後30年にもわたって、上杉村の村長を務めることになります。道路や用水の整備、教育の普及など、さまざまな分野において力を尽くし実績をあげました。
また、上杉村長を務めながら県会議員も務めています。良平は立憲政友会新潟支部を結成、県会議長にも選ばれて、県政においても大いに活躍したのでした。

高田事件記念碑の建立

高田の西に日本スキー発祥の地と して知られる金谷山があります。ここはかつて頸城自由党の大運動会が開催されるなど自由民権運動とも縁が深い場所でした。良平は1937年(昭和12年)この地に高田事件記念碑を建てました。生存する事件関係者が少なくなり、事件を風化させてはならないという気持ちがあったのでしょう。1951年(昭和26年)、高田事件を語り伝えた良平は、90歳の長寿をまっとうして自宅で静かに息を引き取りました。

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